iPhoneを買ったのはTwitterをするためだった

制限がかかるようになってから、あんまりタイムラインは見ていなくて、たまにフォロワーを放り込んだリストを眺めているくらいで、無心で更新したり検索したり、面白そうなツイートの続きのツリーを見てみることをしなくなった。
できなくなっちゃったのだ。
制限かかったらきっとがっかりする。がっかりするのがいやで、できるだけ制限がかからないように、そうっと眺めている。
でも、私はTwitterとこういう関わり方をしたいわけではないのだ。もっと無心でタイムラインを更新して、検索して、情報を浴びたいのだ。
自由にみられないことのストレスは落ち着きはじめているが、まださまざまな情報が一気に取得できるTwitterのタイムラインへの未練と寂しさはある。でも、たのしかったなあ、という懐かしむような気持ちも出てきた。楽しいなあ、ではなく、楽しかったなあ、なのだ。もう過去形になってしまった。
この、寂しさと懐かしむ気持ちがミックスされた感じ、なんだか卒業式の前日みたいだよなと思ったので、ここに残しておくことにする。
あとはTwitterが沈むのと、私がさよならをするのと、どっちが早いかだなあ。