2011.3.11 そのときのこと

そろそろ落ち着いて来たんで、地震発生時から家族と連絡とれるまでのログと、記録してない行動を自分用にまとめて見ようと思います。
震災は現在進行形で続いてるけど、特にあの二日間はわたしの人生の中でも大きな出来事だと思うので。
ちょっと長めなんで2回に分けて。


この日、帰宅したのが朝の7時。「仮眠する」と7時半頃で地震前のログは途切れている。
地震の直前には目が覚めていた。すさまじく嫌な予感がして身体を起こした瞬間に揺れはじめた感じ。
ゆっくりと始まった揺れはひどく長く感じた。感じただけでなく、実際に長かったのは後で知った。
14:49、携帯からtwitterに投稿している。長さに耐えかねたんだと思う。


建物ごとシェイクされるような揺れだった。棚に飾ってたフィギュアがばらばらに倒れ、TVが倒れ、台所からすさまじい音が聞こえてくるのを作りつけの棚に捕まって耐えながら、これは死ぬかもしれないと本気で思った。


このpostが14:53:44、恐らく本震と直後の余震の合間だと思う。いそいでPCの電源を入れ、立ち上がる合間に本震で倒れたTVを起こして電源を入れてNHKにチャンネルを合わせつつ、TLをのぞき込んだ。地震が起きた時、広範囲の地震の場合はTwitterを見た方が情報が早い場合があるのだ。どこもかしこもアクセスが集中するので。
「震度6だって」「震源地は岩手?」そんなpostが見えてやばいなと思いながら自分も幾つかpostする。




この時、東北地方のフォロワーさんが「閉じこめられた!家から出られない」とpostしているのを見かけて背筋が冷えたのを覚えている。*1
震源地が三陸との情報を見て、津波がやばいなあと思いつつ、岩手県内陸部の実家の父と妹にメールを入れた。「地震大丈夫?こっちも結構ひどかったけど無事だよ。連絡待ってます」とか、そんな感じ。
津波警報はこの時点で出てたんじゃないだろうか。よく覚えていない。



このpostの前後で、「震度6 群馬県」のテロップを確かに見た。*2自分の住むアパートは軽量鉄骨造の4階建て。部屋は4階。
逃げなければいけない!と思ってガスの元栓と電気のブレーカーを落として家から脱出。
この日期限の支払いを済ませる為に一旦市役所へ向かう。途中寄ったコンビニでは、外の公衆電話でスーツ姿のおっちゃんがどっかに電話してた。
『ええ、お酒が全部落ちて割れてしまって……』
店内に入ると、確かにきついアルコールの匂いがした。あれは店長かなと思いながらレジに行くと、レジのおばちゃんも混乱してて、煙草の銘柄を言ったのに「えっそれなんですか?」とか言われる。謝られたので、凄かったからしょうがないですよとか、震度6だったみたいですとか、そういう話をした。私もだいぶ混乱してた。市役所への道を間違うくらいには。
運転中、何度か余震が来た。電線がゆらゆらと揺れるのを見ながら、停止するたびサイドブレーキを引いた。なんでそんな事したんだろ。



これが15:16。地震発生から約30分後だ。三陸南地震か岩手・宮城内陸地震かもう定かじゃないんだけど、実家のあたりで震度6だったのに、30分後にはメールは通じてたと思う。これはやばいかもってこの時点で、ちょっと焦り始めた。この更に約30分後の15:48:54に同じ事をpostしてる。



この後は暫く、青森県に実家がある友人とのやりとりが続く。お互いに親族と連絡が取れない事に焦っていたり、道路が混んでてあぶないとかそう言う内容。



会社に着いたのがこのpostの少し前、16時半くらい。
上司の第一声は「生きてた!」だった。メールが帰って来ないから心配してたんだと言われる。慌てて新着受信を試みたけど、来なかった。混線してるんだと分かって、じゃあ暫く実家と連絡は無理かもしれないと思って少し安堵した。
NHK総合を再配信してるustがあるのを知って、テスト用のPCで流しながら仕事しはじめてからは、暫くのんきなpostが続く。TLの様子もまだそんなにざわざわしてなかったはず。帰れなくなったとか、電車止まったとか、そういうpostは幾つもあったけれど。



友人宛にしたこのpostの直後だ。



岩手県釜石市の津波の映像が流れた。ここで、ひどい事が起こってるとやっと実感してきた。
でも、まだ現実感が薄かったんだと思う。TLはそろそろ混乱しはじめてて、都内勤めの女性陣は軒並み帰らずに会社泊または友人宅避難。男性は結構頑張ってあるいたりタクシーで帰ったり。
群馬県内でも停電で信号が止まってるなんて情報を流してもらったりしつつ、ust流しっぱなし、TLはりついたままの午後20時頃。




オフィスから人がいなくなった辺りで一気に不安が増したらしい。弱音のようなpostが増える。同じく岩手県内陸部に実家のあるフォロワーさんや、青森で被災したフォロワーさんと情報交換したり、励まして貰ったりする。





安否確認をしてると聞いてIBC岩手放送をfollow。内陸の被害についてはあまり言及がなく、どうなっているか様子はあまり掴めなかった。








気仙沼市の火災の映像は見た人多いと思う。津波で押し流された市街地が、暗闇の中で真っ赤に燃え上がるあれだ。
あの惨さったらなかった。あまりの事に不安がピークに達して涙が出た。
一人でいるのは無理だ、と友人宅への避難を決めたのがこの辺り。


会社を出たあとは、いったん家に戻って貴重品と着替えだけ持って避難先の友人宅へ。
朝の4時くらいまで、余震で眠れないというログが残っている。


当日のtwitterログ
http://twilog.org/hana_/date-110311

*1:あとで無事に脱出しています。怪我もなかったそうで何よりです

*2:自分の住む市は後に震度5強と発表されました